四(江島事件が早く発覚して且つ表沙汰になつ)

江島事件が早く発覚して且つ表沙汰になつたのは、彼女の行動があまりに大胆露骨に過ぎたからであつた。内密に異性と接触したものは、たとひ、それが露顕しても、大奥の名誉威光に関することであるから、表沙汰とならずに内済に終つたことも尠く無い。

天保の頃、第十二代将軍家慶附の老女の瀬山、大御所家斉夫人附の年寄の花町等は、御代参の外に自分の参詣をも願つて鼠山の新咸応寺に赴き、老僧若僧と相戯むれて不義の歓楽を擅にしたことがあつた。当時新咸応寺の住職は日啓といへる破戒坊主で、大御所家斉の愛おみよの方の実父であつたから、新咸応寺と大奥との間には一脈の連絡があり、また此寺に勢力のあるのを奇貨とし、御殿女中は御代参と参詣とに託して屡々寺に出入し、破戒坊主の住職日啓を始め、多くの坊主共と接触したのであつた。しかし、屡々参詣することも出来ないから、御殿女中は奸策をめぐらし、衣服の加持を頼むとか、寄進をするとか云ふ口実の下に、咸応寺に運ぶ長持の内に潜みこんで寺に忍び込んだこともあつt。宝永の頃、女形俳優の中村大吉は尾州家の未亡人天龍院に愛せられて、同じ役者の早川多之助、津川織江等と共に、本町の呉服屋伊豆蔵の長持の中に忍びこんで呉服物となり、奥殿へ出入したといふ話もあり、また、後人の偽作であるが、江島と密会後の生島新五郎が大奥へ納入する菓子屋の蒸籠の中に身を潜めて江島の部屋に忍び人つたと云ふ伝説から「饅頭になるは作者も知らぬ智恵」といふ川柳もあるが、こゝでは御殿女中の方から寺に運ぶ長持の内に潜んで忍び通つたので、如何に彼女達の禁欲生活に対する反動の強烈であり、性的満足のためには手段を選ばなかつたかを推知することが出来る。それが天保十一年六月頃に発覚したが、表沙汰にならずに済み、瀬山、花町には永のお暇が出た位に留まつた。しかし斯う云ふ事件があつてから、奥女中の出入口には、外に持ち運ばるゝ長持の重量を測定する天秤を据え置くことゝなつた。

神聖なる寺院を秘密の歓楽境として御殿女中が不義の愛に浸つたことは、前述の天保時代の事件のみでなく、遥か以前の享和の頃にも、同じく日蓮宗の延命院の住職日道が阪東三津五郎、市川男女蔵、沢村源之助、岩井久米三郎等の美形の俳優を寺に招き集めて大奥の女中に取り持ち、その歓心を買つたこともある。日道は女犯の罪で死刑に処せられたが、その取り持で俳優に関係した奥女中の醜行は表沙汰にならずに内済に終つた。

江戸時代に於ける劇場の得意客の一は御殿女中であつた。平素大奥の別乾坤に住んで異性に接触する機会もなく、はち切れん許りの肉を錦繍の袿衣に包み、腐らんばかりの気を窮屈な奥殿に閉ぢこまれてゐた彼女達は、毎年春三月の宿下りには必ず芝居見物に出かけるのが常であつた。宿下りの規定は、大奥に奉公してより三年目に始めて六日、六年目に十二日、九年目に十六日の暇を賜り、以下何ヶ年勤めても十六日の暇が最長限になつてゐた。但し御上臈、御年寄、中臈、御客会釈、御小姓、表使、御錠口番等を除き、御次より以下の奥女中は、御年寄の許可を得て年々の春先きに宿下りをなすことが出来るのである。劇場では彼女達の意を迎へるがために、三月の春狂言には、特に濡れごとの狂言を演じた。淫靡なる動作と水の垂るやうな俳優の舞台姿とに魅せられた彼女達は、演劇が終つて後、芝居茶屋へ赴いて、各自に好きな俳優や蔭間を呼びよせて甘い歓楽に陶酔した。御殿女中を始め、その他の女性の密会所といへば芝居茶屋が普通であつて、その中にも劇場の裏通りにある中茶屋、小茶屋、即ち裏茶屋なるものが特に秘められた歓楽境として非常に繁昌したものである。

啻に大奥の女中ばかりで無く、大名の奥殿に仕ふる女中にも内密に俳優や蔭間に馴染んで不義の快楽を貪ぼつた者が尠く無い。家風の厳重な藩邸では、自由に外出して歓楽を恣にすることも出来ない処から、蔭間の如き男娼に女装させて部屋に引き入れたこともある。「甲子夜話」に、加賀侯の藩邸の奥女中が邸内に歌舞伎狂言の催うしのあつた時、蔭間に女装させて引入れたことが露顕した事件のあつたことを記して「御住居の御慰みに歌舞伎を仰せつけられしが、いつも其者共は女子なる故、来りても四五夜は滞在することなるが、その中に蔭関一両人雑り居たるを、御附の男子の輩、その者の小便する所を見て知り云々」とある。これは女装して邸内に忍びこんだ蔭間が立小便をしたがため男子たることが露顕したのである。天保版の「春雨日記」といふ春本には加賀藩邸にあつた如き事実を材料として、女役者数名が殿中に於て演劇をする彩色絵等を挿んであるが、なほ此の女役者中に若衆が混じてゐて、奥女中との対談に「おや、まあ、お前は男かえ、よもやお前が男であらうとは、夢にも知らなんだ、」「女でなければ御屋敷のお奥へあがられませぬ故、女になつて居りまするが、此様なことがあつては」など、添へ書きした淫猥なる絵図もある。