江戸時代の初期元和年代に至る頃までは未だ遊廓制度といふものが無く所謂「遊女」「うかれ女」なるものは「自由売笑婦」であつて、政府は全く之に干渉しなかつたから、自由にその醜業を営むことが出来た。故にその当時は固より公娼、私娼の区別は無かつたのであるが、然るに始めて一定の遊廓制度が設けられて、公私両娼の区別が出来るやうになつたのは、実に江戸時代の元和三年、吉原遊廓の開基以後からのことである。
抑々慶長の年代までは、京都、大阪、駿府の他、繁盛なる津港駅里には、古から遊女町と称せられるものが二十余箇所もあつたが、独り将軍の居城たる江戸のみは未だ一定の遊女町なく、各処に散在してゐた。そこで相州小田原の人で柳町に遊女屋を営んでゐた庄司甚右衛門といふ者が、一定の公認遊廓を設立して一箇所に遊女町を集め、風紀の頽廃を防止するの要を感じ、願書を町奉行に提出したのは実に慶長十七年の頃であった。その設立願書の主旨は三箇条であるが、之を読んでも当時に於ける妓楼の汚行、風俗堕落の一班を推知することが出来る。その三箇条は左の通りである。
一、遊女を買ひ遊び候もの、遊興好色に耽り、分限を弁へず、家職を忘れ、不断傾城屋に入り込み、長居致候共、傾城屋の義は其者より金銀だに申請候へば、幾日も留め置き馳走致候。然る間自ら主人親方へ奉公を欠き、剰つさへ引負押領致候こと、傾城屋どもが金銀を限り留置候故かと奉存候。一ヶ所の場所に被成下候はば、只今まで有り来り候傾城屋共一所に集り吟味仕り、一日一夜の外、長留致間敷候事。
一、人を拘引候者の義、前々より堅く御制禁被遊候へども、御手に入り申間敷奉存候、此度願之通り仰付け被下置候はゞ、此義わけて念入り、何者にても不屈者の傾城町を徘徊致候はゞ其者の出所吟味し、若し疑しく候はゞ岐度御訴訟可申候事。
なほ一箇条あるが略しく置く。かくの如く庄司甚右衛門は江戸都市に於ける散娼のために風俗の頽廃し、且つ悪漢の徘徊する弊害を認め、集娼制たる遊廓を設立公認するの要あることを切実に感じた結果、之に関する自己の意見を其の筋に提議したのであつた。その後漸く五年を経過して元和三年の春に至り、幕府は遊廓の設立を公許し、その場所として僻●(にんべんに取)の地たる葺屋町下に二町四方の地を下賜した。これ即ち江戸吉原開基の因縁であるが、此の際、庄司に渡された五ヶ条の規則は左の如くであった。
一、傾城町の外、傾城商売致すべからず。
一、傾城買遊候ものは一日一夜より長留致す間敷事。
一、傾城の衣類、総縫、金銀の摺箔等、一切着せ申間敷事、何地にても紺屋染用ひ可申事。
一、傾城町家作普請等美麗に不可致事。
一、武士、町人体の者に不限、出所慥ならず、不審なる者徘徊致候はば住所吟味致し、愈々以て不審に相見え候はば奉行所に可訴出事。
右の規則が初めて世に出た遊廓制度であつて、今まで都市に散在した娼家を僻●(にんべんに取)の区域内に集めて都市と隔絶せしめ、風俗堕落の伝播を防ぐと共に、一定の区域外に於ける売笑婦は「隠売女」即ち私娼として厳罰を科すことゝなり、また不良の徒を取締る点に於ても著しい効があつた。要するに江戸幕府が遊廓を公認したのは風紀的管理がその主なる目的であつた。斯くの如く遊廓の公認によつて始めて公娼と私娼との区別が出来るに至つたのである。そして寛文年代(第四代将軍時代)の頃、日本国中遊廓公許の場所は、畠山箕山の「色道大鑑」の記する処に依るに実に左の如くである。
一、京の島原
二、山城伏見町
三、同伏見柳町
四、近江大津馬場町
五、駿河府中島
六、武蔵江戸三谷
七、越前敦賀六軒町
八、同三国松下
九、大和奈良島川木辻
十、同小網新屋敷
十一、和泉堺北高淵町
十二、同南津守
十三、摂津大阪瓢箪町
十四、同兵庫磯町
十五、佐渡鮎川山崎町
十六、石見塩泉津稲荷町
十七、播磨室小野町
十八、備後鞆有磯町
十九、安藤広島多々海
二十、同宮島町
廿一、長門下関稲荷町
廿二、筑前博多柳町
廿三、肥前丸山前
廿四、同樺島
廿五、薩摩山鹿野田町
以上は寛文頃に於ける記録である。その後年を逐うて遊廓の増加したことは固より言ふまでもない。
江戸時代の初期はなは戦国の余風を存して、質実剛健の気風世に行はれてゐたが、三代将軍家光の治世の時代から次第に淫靡懦弱の風に赴き、従つて肉体的享楽を求める者が年と共に多きを加へるやうになった。「東海道名所記」の著者浅井了意が、「人間七十古来稀なり。身をもちて誰か此の戯れをなさで暮らさん。白楽天の身後に金を堆して北斗をさそうとも、しかじ生前一樽の酒にはと作るぞかし。一寸先は闇、命は露の間、明日をも知らぬ浮世なるに、おゝおせおおおせとて友だちをそゝのかし」云々と記したのは、実に時代の淫蕩なる人生観を直写したもので、肉的歓楽に憧れる世人の需要に応じて起った売笑婦には公娼の他、女歌舞伎役者、湯女、踊子、芸者、風呂屋女、比丘尼、白人、けころ、山猫、飯盛、夜鷹等の私娼一々算へ難い程であつた。