有名なる其角の俳句に
御秘蔵に墨をすらせて梅見かな
といふのがある。「御秘蔵」の意義に就ては種々の見解もあるが、故佐々醒雪氏は之を其頃の御小姓の意味に解し、美しい小姓に墨を磨らせて大名屋敷か何かで梅見をしてゐることゝ説明した(「江戸趣味」)。しかし「むかしむかし物語」に記する処に依れば御秘蔵とは妾を指した隠語である。曰く、「妾など召し使ふことなどは、親方へ深く秘し、親類他人の懇意にも隠す。聞き出したる人御秘蔵の御妾有之と承り及びたりなどゝ云へば、さて左様のこと無之と争ふ。すべて勝手へ通る心やすき親類のみにはその召使の女の給仕す。隔心なる客には見せざりし」とある。私は此の説に従ひたい。それは「政談」にも「妾といふもの無くて叶はざるものなり。当時は妾をば隠れ者のやうに仕る。是れ習はしの悪しきなり(中略)今の世は表向き一妻一妾と高下共に立て置き候故、妾は隠し者になりて却ているいろの悪事生ずるなりと云々」とあるに徴すれば、当時に於ては、公然蓄妾するを憚つたものらしい。将軍大名の妾でも之をおめかけと呼ばずに、お部屋と称し、家来には様つけにさせて、その召仕の女房より諸事の格式等も本妻と左まで違はぬやうにさせたのも、此様な風習から起つたのであらうと思はれる。(「政談」参考)されば「御秘蔵」が妾の異名たることは明かで、思ふに其角の詠んだ俳句は、平素心やすき人々を招いて梅見の宴を張り、秘蔵の妾を席に侍らして墨をすらせ、観梅の俳句を短冊か何かに書いたりした風流韻事を詠んだものであらう。
一夫多妻が公然実行せられた江戸時代に於てさへ他聞を憚つて蓄妾を秘した時代もあつたのは、面白い。