万治三年刊行の「吉原鑑」の中に、「袖の露」といふ題で左の如き記事が出てゐる。
或人の曰く、ぶんなる月の男、くぜついたし、むざとしたることに腹をたて、色々わびごといたしても聞き入れざる時は如何。芳野云ふ、わび言いたしても聞きいれず、あげ屋、やりて、たいこ迄、いろいろことわりを申せども聞かぬなり。其時、もはや物もいはず、ひたと泣くなり。此男傾城の泣くに従ひ、心細くなり、腹立ち止み申すものなり。また床のうちにても、くぜついたし、何かと無理を云ふ時は、ひたと泣き泣きてことわり申せば、男無理故心なほると見えたり。そのために傾城は、ふだん着る物の襟に明礬をたしなむなり。涙のほしき時は明礬を眼にさし侍る。
足亦当時の売笑婦生活の一班を窺知し得る一材料である。いつも涙を出す用意に衣服の襟に明礬を入れ、用あるに臨んでそれを眼にさし入れる欺瞞手段がいかにも売笑婦らしくて興味を惹く。