結婚媒介所は明治時代に至つて始めて出来たもので無い。今を去ること二百五十余年前の寛文の頃から江戸にあつたもので、寛文七年版の「子孫鑑」に、
「遊民ども渡世のために、慶庵といふ中間もあり、或は敷金をして嫁入り、或は養子入聟のしき金、または家屋敷の売買貸、金の肝入り、さては高直なる諸道具の取次、その他、女奉公人、是等の品々を取持つことのみ業としてけり」
とある。慶庵は単に雇人の世話することゝのみ思はれてゐたが、寛文時代の古い頃では、嫁入聟入の周旋を第一の業としてゐたのである。