江戸名物の一であつた吉原遊廓の張店が全廃せられて、不夜城として誇つてゐた六街数百の大籬小店が、酒場式、所謂バー式に変り、歌舞の菩薩とまで嘆美されてゐたうち掛け姿の花魁も、バーの女の姿と同じやうになつたのは、今を去ること十年前、即ち大正五年の七月であつた。
江戸時代有名の文士山東京伝は、吉原の花の廓を俳句に詠んで、
西行もまだ見ぬ花の廓かな
と云つたが、今日では、
京伝もまだ見ぬバーの廓かな
と詠みたいほど、吉原の実景が一変して、江戸的の華やかな情調は全く見られなくなつた。