関西では夫婦同行で外出するのを駱駝或は鑄掛と呼ぶ。その起りは、文政四年頃、初めて我国に駱駝の牝牡が渡来して、大阪の難波新地の見世物に出たの で、それが市中に評判となつたのと、その後文政七年の頃、土瓶の焼つぎを職とした者が、夫婦づれで「土瓶の鑄掛け鑄掛け」と呼ばありながら、大阪市中を廻つたことから、夫婦同行で外出するのを駱駝或は鑄掛けと呼ぶやうになつた。頼山陽は夫婦づれでよく外出する処から、京都の或る歌妓が山陽の好きなものを挙げて作つた端唄に、駱駝が詠み込んである。今日では駱駝の称は廃れたが、鑄掛けの称丈は今も残つてゐる。