女相撲は明治時代に東京大阪等にも興行されたこともあるが、今日は風俗上の顧慮より禁ぜられてある。しかし江戸時代に於ては、明和、天明の頃に盛んに行はれた。処が、文政九年になつて、女と肓目の男との取組む相撲が上野の山下で興行せられ、都人の好奇心を唆つた。男女の力士各十一人、女は淫売婦上りや乳母等の年増醜婦で、しかも相手が目の見えない不其者であるにも拘はらず、無比の珍興行であるので、大いに繁昌したと云ふ。江戸時代にはこのやうな猥褻の見世物も公然行はれたのである。