破戒僧が医者に化けた話

昔の医者は僧侶と同じく剃髪して坊主頭であた。それは古方の漢医ばかりでなく、蘭方医でも同様で、十万石以上の諸侯に仕ふる医者は蓄髪を許されなかつたから、剃髪僧形を以て医の面目名誉と思つてゐたのである。此の如き風習に対して蓄髪し一生民間の医師として世を終つた者も尠くは無いが、昔の医者間には医者坊主と称せられた程剃髪がその風習となつてゐた。

されば江戸時代では僧侶が遊廓に行く場合には医者の姿に変装し且つ一本の脇差をさしたものである。それは医者には帯刀を許されてゐたが為であつた。真宗以外の僧侶は肉食妻帯を厳禁せられ若し女色に戯むれたことが発覚すれば直ちに召し捕へられて日本橋に三日間晒らし者にせられた上寺から放逐さるゝ規定になつたから、其筋の目を偸んで遊廓に往く時には、医者に変装するのが最も都合が好いのである。「出家で儲けたのを医者でつかひ捨て」。「夕には医者あしたには僧となり」。「脈をみておくんなしに化がわれ」。と云ふやうな川柳は此のことを詠んだものである。

武士が遊興する際には佩刀を中宿に託して登楼する風習になつてゐたが、医者に化けた僧侶は、どこまでも医者らしく見せんがために、脇差を腰にしたまま登楼した。「僧はさし武士は無腰の面白さ」とは此事を詠んだ川柳である。

芝増上寺の僧侶などが医者に化けて近くにある品川の遊廓に行つたことは、「高輪へ来るとうしろで帯をしめ」。「薬箱持たずに品川さして往き」。といふ川柳に徴して明かである。また、当時は破戒僧のことを狼といつたもので、即ち衣を着た狼と云ふ意味であるのをば省略して、単に狼といつた。「舟宿へ来て狼も医者に化け」。