八(上の為す処下之に倣ふ。上流町人の爛熟しきつた)

上の為す処下之に倣ふ。上流町人の爛熟しきつた奢侈蕩逸の風習は自ら中流下流の階級にも伝播し、悪所通ひに憂き身をやつす徒輩を簇出せしめた。さりながら無産町家の主人や、手代や或は部屋住みの息子等は、高級の公娼たる太夫、天神を相手にする経済的余裕は無いから、勢ひ鹿恋、端女郎乃至私娼の如き低級の売笑婦のもとに趨らざるを得ない。此等の売笑婦の嫖価には僅か四匁に過ぎざるものもあつた。「曽根崎心中」のお初「心中二枚絵草紙」のお島の如きは則ちそれであつた。お初の相手は醤油屋の手代の徳兵衛であり、お島の買ひ馴染は農家の悴の市郎兵衛である。上流の商人のやうに、とても大尽遊びが出来るものでないから、低級の娼婦を相手にするのが分相当である。茜屋半七の相手も三勝といふ湯女で、豆腐屋の息子の相手に相当し「心中天の綱島」の紙屋治兵衛の色女小春も島の内の湯女から北新地に鞍替した私娼であつた。しかし、如何に相手の女が嫖価の廉い低級の娼婦であるからと云つて、経済的余裕に乏しい無産の町民や農家の悴等が、何時も女のもとに通ひつめて無理算段の遊びを重ねては、いつしか金に行詰まらざるを得ない。そして切迫に詰つた金額の高を見ても、紺屋の徳兵衛は八両、紙屋の治兵衛は十三両、鍛冶屋の職人平兵衛は四両であつた。

上流の大阪町民は前述の如く豪放であつたが、併しその他の一面には一厘一銭の金を使ふにも商量する織嗇の処があつた。近松の「心中氷の刄」に「大降りがするならば、おつま、帷子濡れそふより八分位で駕籠をかれ、女房にも足袋をぬぎやと云へ、雪駄を腰に挟むとも新しい紙を使ふまい。釘包んだ古反古一二枚持つて行け」とあるのは、些細なことにも能く注意して僅かの金と雖、容易に費消しない大阪町人気質をば具体的に描出したものである。俺等は大阪の町人、天下の町人だから、始終色町に遊び、常住芝居を見て居るぞといふ自慢の下から、鼻紙を炬燵にかけて乾かすやうな織嗇さがある。加之、大阪は町人の都であるから、信用が町民の生命であるといふ商人道が能く発達してゐた。或一面には豪放濶達でも、他の一面には信用を重んずるのが大阪町人の気質である。されば悪所通ひに身をやつして金銭を浪費し遂に金に行き詰つて世間の信用を失つた徒輩は万事体するの余り死を選ぶことゝなる。尤も相手の女は低級の娼婦だから、金さへ有れば容易に根引して一生恋を享楽することが出来るにしても、併し肝腎かなめの金に窮して尾羽うち枯らし、町人の生命たる信用を失つては、意志の余程堅固でない以上、思案につきて相手の女と死を共にするに至ることは昔も今も異つた処がない。殊に元禄時代に於ける大阪は、富といふ実力によつて町人の擡頭した新時代であつたと同時に、またその一面に於て経済的発達に伴ふ商人道の確立と個人生活の動揺脅威との著るしくなつた時代であるから、金に窮し、信用を失つた無産の人間が、所謂一蓮托生の思想より、相愛の女牲と死を共にする情死といふ新悲劇の踵出するやうになつたのも決して偶然でなかつた。要するに上流町民の奢侈放逸に見倣つて下流の町民や農民が低級の売笑婦に近づき無理算段して通ひつめて、遂に廉価な嫖金にも行き詰り、世間の信用をも失つた結果、情死事件の踵出となつたのである。されば金持階級の子弟や高級の娼婦に情死したものは殆ど見当らぬ。「御入部伽羅女」にも「芝居者、端女郎、金銀の刹那に行きつき、あるにあられぬ浮身故、両人ともに剌しちがへしこと、三勝以来数年の命」とある。