十四(元禄より享保にかけて上方及び江戸に情死事件)

元禄より享保にかけて上方及び江戸に情死事件の盛んに行はれた原因に就いては既に述べて置いたが、なほ茲に考察すべきことは此時代の民衆は、上方でも江戸でも、肉欲の天国なる花柳の巷に放縦なる性生活を恣にしても、情熱もあり真剣味もあつたことである。西鶴の「好色一代男」の主人公浮世之介といふ男の如きは、十四歳の少年時代より六十余歳の老齢に至るまでその馴染んだ女性の数は三千七百四十余人とまで云はるゝ程、前代未聞の極端なる愛欲生活を送つたにしても、そこには一生懸命に恋愛を追求した熱烈さと真剣さとが歴然と現はれてゐる。元禄前より享保に至る迄の時代、即ち所謂元禄時代は実に恋愛感情の自由に解放された時代であつたが、併し恋愛を遊戯化したり茶番視したりするやうな不真面目なる事実は無かつた。近松や紀海音の浄瑠璃文学が情死を主材にして世人に歓迎されたのも決して偶然でなく、恋愛のためには双方の男女が霊肉一体となつて死することさへ敢て辞せないと云ふ真剣味と情熱とが当時代に横溢してゐるからであつた。

啻にそれ許りでない。当時代の女性は夫或は愛人のために一身を献げるといふ犠牲的精神に富んでゐた。元禄時代に至つて大に発達した儒教思想は、主君のために潔く身を棄つるのを忠臣の本領としたと同様に、夫に一身を捧げて生死を共にするのを貞女の鑑とした。女が身を託した夫や愛人と共に死するといふ場合には固より何の恨みもなく、寧ろ喜んで死を共にしたことも情死の有力なる一原因であつた。「曽根崎心中」の徳兵衛でも「心中天の網島」の治兵衛でも「二枚絵草紙」の市郎兵衛でも、男の方は、いづれも経済的及び道徳的に行詰つて自分一人だけでも死なねばならぬ事情があるのに、その相手の女が喜んで死を共にしたのは、単に愛に執肴する心ばかりでなく、愛人のためには一身を献げるといふ美しい犠牲的精神にも基いたものである。近松や紀海音等の描いた心中戯曲の女性は大抵低級の娼婦であるが、併し此様な卑しい女性の頭脳にも美しい犠牲的観念が宿つてゐた。されば情死を決行せんとする間際になつて、男が相手の女に刀刄を加へるのを躊躇するに反し、女の方では早く殺してくれと促してゐる。「笠屋三勝二十五年忌」には「三勝喜び笑顔して、早う殺してくと死を悦ぶぞあはれなる」とあり「天の網島」には「早う早うと女の勇むを力草」といひ、「曽根崎心中」にも「望みの通り一緒に死ぬる此の嬉れしさ」とお初は言つてゐる。

此の如くその一身を託した男子に対する強烈の愛情と犠牲的精神とのために彼女達は甘心し満足して男と死を共にしたのである。「万葉集」の出た奈良期時代「源氏物語」の出た平安朝時代は、恋愛生活に日を送つた男女の甚だ多かつたに拘はらず、情死した女の一人も無かつたのは、唯だ愛欲にのみ陶醉して犠牲的精神に欠げてゐたからであつた。欧米に於ても古来情死沙汰の稀であるのも、女性に自我意識の強く、自己の利害を本位とする個人主義思想に支配されてゐるからである。