十五(元禄時代に町民が擡頭し、黄金の実勢力によつて)

元禄時代に町民が擡頭し、黄金の実勢力によつて自由享楽の天地を紅燈緑酒の花街に求め、豪游奢蕩を擅にして武士階級に反抗したことは、勢ひ支配階級たる武士の嫉妬と憎悪とを買つた。彼等はその賤視する町民が生意気にも富の力によつて豪奢なる生活を送ることを嫉み憎む処からその特権を利用して町民を圧迫すべく、屡々奢侈禁止の令を下し、町民の富力治用を極端に近い迄制限した。それは享保の明君と称せられてゐる第八代将軍吉宗の治世より愈々顕著となり、第十一代将軍家斉の時代に入つてからは、白河楽翁の寛政改革となり、更に十二代将軍家慶の時代には水野忠邦の天保の改革となつて現はれ、啻に民衆の経済的能力を抑圧したばかりでなく、社会的にも向上開展の途を阻塞したので、元禄時代に豪放快活の生活を享楽した民衆の子孫も次第に生に対する積極的興味を失ひ、元禄期の狭斜生活に見るやうな情熱、真剣味は悉く取り去られ、刹那の享楽で満足せざるを得なくなつた。かくして明和、安永、天明を経て文化、文政時代に入り爛熟頽廃せるデカダン時代を現出するに至つた。

江戸町民の花街に於けるデカダン生活は、山東京伝の洒落本や、為永春水の人情本等の上に最も鮮明に表現されてゐる。その頃の民衆は今日あるを知つて 明日あるを知らず、刹那の愉悦のみを貪つて永遠の快楽あることを知らず、そ の醉生夢死主義に粋とか通とかの名称をつけて性欲の生活を遊戯化し茶番化して了つた。情熱や執着は当代の通人粋人の最も囘避した処で、一身を恋愛の犠牲に供するが如きことは野暮の骨頂と認められた。十八大通といふ大なる通人には遊女を落籍した者も多く、晩年には大概貧窮に陥つたが、併し情死した者は一人も無かつた。それは執着や情熱のなかつたがためで、彼等は刹那享楽的であり、茶番的であり、技巧的であつたから、男女関係に於ても心中する迄思ひつめたりするやうなことは滅多になかつたのである。斯ういふ時代にあらはれた黄表紙や蓖蒻本には折り折り心中話のあるにしても、それは大抵田舎ものか野暮天で、滑稽の材料に使つてゐるのみであつた。例へば山東京伝の名作「江戸生浮名樟焼」といへる黄表紙に描かれた艶次郎といふ馬鹿息子の情死の真似事の如きは単に読者を失笑せしめたがための挿話に過ぎない。粋人や通人の情死は当時の黄表紙にも人情本にも見当らぬ。

もつとも此様なデカダン時代にも情死沙汰は無論あつた。天明の頃には吉原に於て藤枝外記といふ旗本と娼婦綾衣との心中があり、文化十三年には向島で遠豆屋の娘と手代との情死があり、文政元年には新橋炭団干場で男髪結と女太夫との心中等もあつて世間の評判に上つたこともあるが、併し恋愛の遊戯化され、技巧化された化政時代に心中事件の少かつたのは固より自明の理である。